「さがしもの」角田光代

「さがしもの」って単に失って、さがして、見つかってものだけでは言えないかもしれない。第1章の「旅する本」には世界のどこの片隅までも主人公を追いかけている本の話がある。人間が命の道で進みながら、どうやっても抜けないものごともあるはずだ。時間が経って、慣れてた景色と自分が変わっても、文章の中の古本屋のようなずっと変わらないものがある。具体的には中学校4年生で英語文学のために読ませられた「エマ」(ジェーンオースティン作家)という小説だ。4年ぶりの本は今年の大学のゼミで再び浮かんだ。再読したとたん、ほろ苦い。まるで16歳の私に振り向いてように、4年間の成長をはっきり感じる。

たぶーん、「不幸の種」の主人公のように、人生の経験 によって本の意味が変わると、いつも自分の解釈を変わるのはやむを得ない。ポイントは、失って、さがして、見つけてというのは定期的なことではないだろう。いつか、それでどんな新発現が得るかわからない。しかもそれは楽しめることの理由でしょう?時間が経ったら、気になったものが失ったと思ったけど、実際は抜けられない。記憶から消えたみたいけど、本当は自分の心の底においてしまった。ずっとお互いの再開を待ってます。

しかし、長く探しても見つけないというテーマもあるかな。「彼と私の本棚」の主人公のように、恋人に振られたら、彼と自分の本を本棚から取り分けている間の傷みがよく気になった。本棚というのはただな捨ててもいい家具ではなくて、二人の本と一緒に過ごした時間の思い出を詰め込んでいた。だからこそ、恋が過ぎ去ってしまった状態で、捨てられないものごとは傷口でも単純な嬉しさもなってきた。やっぱりまたそのほろ苦い気持ちなぁー。おそらく、大事なものを残っていたいとともに、落ち込気分から抜けたがってるので、新しいものを探す代わりに、思い出を基づいて自分の個人的なものを探し始める。つまり、探すのは甲斐がある程度になれば、積極的に自分のことを優先して、個人的な空間を見つけるように進む。

やっぱり、一番気になったのはこの本の前半分の物語は「本」とか「読書」でキャラクターとものごとをつながっている。人間は時間が経つと変わて消えてしまうけど、本は世の中で中区存在し続けられるものだろう。だから、本は人間のために鏡のようになって、命っていうものの全てのほろ苦いを映ってくれるかな?

本のような世界に向けてある扉を開かれるものは確かに少しでも無知や自分以外のことの無関心を消えられるって思う。そう「引き出しの奥」の主人公はたぶん落書きをたくさん書き詰め込んでいた表紙がある本の探しに囚われたので、自分の自滅的考え方を越えられると言える。「ミツザワ書店」も同じように本に関するきっかけを与えて、培った読みと書きという意識に成立できるかもしれない。ここでは本の話けど、それよりいつももっと意味深いものが含んでいる。例えば、「さがしもの」の主人公は祖母が見つけさせた本の探し過程に納得に自分の未来に対する責任を得られる。あるいは「初バレンタイン」の主人公のように、本で恋人と繋がりたいと思ってたんけど、結局全くできなかった。でも、最後まで大好きな本に与えた意識や影響を握り続けるので、本気で失敗したと言えないかな。

みんなも本のおかげで、他人と繋げれる。「引き出しの奥」の深くなっていく人間関係が得たや「ミツザワ書店」の謝罪が出来たことや「さがしもの」の主人公見つけたいものの探しプロになってきたのはたぶん本と人間の依存関係を述べると思う。書いたのは人間だけど、生み出した本は確かに自分の存在が得たにちがいない。しかし、最後まで解釈を出来るのは読者の責任に属すと思う。なぜなら、有意義な人生を求めたいなら、本っていう世界に向けの扉の力を認めるのは必要不可欠かな。人生のような期限的なものの上に、変化の波が激しくうねる波に浮いている途中で、唯一長くあり続けるのは本と言えるだろう。表紙で埃がどのくらい積もってもページが黄変されて腐ったようなにおいがしても、本に詰め込んでいる意識や概念や思考は永遠にあり続けるだろう。だからこそ、貴重にする。

 

 

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